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理事:レスター史子

経歴
国立音楽大学卒業後ウィーンに留学。ウィーン国立音楽大学でリート・オラトリオを専攻。エリック・ヴェルバ氏に師事。修士課程及びディプロマにおいて最優秀の成績で修了。クラーゲンフルト劇場と契約、“蝶々夫人”“魔笛”の夜の女王でデビュー、リリックとコロラトゥーラのような全く性格と音域の異なる二つの役を同時期に歌える歌手は欧州でもまれな存在といわれた。ラジオ・テレビを通じて活躍していたが、息子誕生の為、音楽界の隠退、息子が中学以降、在墺日本大使館広報文化部で16年勤務。1997年退職して現在に至る。現在日墺文化協会理事。
会報「ウィーンの森」に“ウィーン便り”を連載中。

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私とオーストリア

早いものでオーストリアに来てから今年で何と39年目の年を迎えた。
ウィーンでの生活が日本にくらべて長いにもかかわらず、“何処の国の方でしょうか?”と質問されると即座に“日本です”
と返答するのは不思議である。
 勿論外観的に容貌がアジア的であるという潜在意識は別として、本来ならオーストリアが故郷であって良いはずなのに、躊躇せずに必ず“日本です”という言葉が当たり前の様に自然に出てくる。
 オーストリアのみならずヨーロッパの文化に親しみ、オーストリアの友達と文化及び政治、経済、科学等全ての分野において論争しても、心の故郷ともいえる日本とオーストリアを交流かつ和解させることは、根本となる源が異なるゆえに無理なことと最近痛感せざるを得ない。
 しかし私たちは諦めずに、相互の性格の相違を尊重して、譲歩しながら両国の調和を育成させるよう、努力していくことが、今日21世紀に活かされた私達の重要な課題ではないだろうか。

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